1. 重要となったTDR条項(Tiered Dispute Resolution Clauses)
シンガポール国際調停条約が早い時期から多数の国により署名され、国際商事調停が飛躍的に普及してきていることを考えると、(https://www.kwm.com/en/jp/knowledge/insights/in-anticipation-of-this-month-s-singapore-mediation-conference-20190806)、近年、Tiered Dispute Resolution Clauses(多段階紛争解決条項、「TDR条項」)は企業法務に携わる者にとって非常に重要な条項となってきているといえる。実際、TDR条項は、取引当事者間で長期的かつ緊密な協力関係を維持することが求められるエネルギー産業のような分野においてすでに広く活用されているのである。
本稿では、TDR条項の利用を検討されている方々に、知っておく必要のある「落とし穴」として、以下の事項を中心にご紹介する。
① ADR手続およびTDR条項の有用性を認め、TDR条項が執行可能となるための要件を示した英国高等裁判所の判決
② 執行可能なTDR条項をドラフティングする際の4つの骨子
2. TDR条項の概要
TDR条項とは、契約当事者間に紛争が生じ、または生じかけた際、正式な仲裁や訴訟等が開始される前に、契約当事者が段階的に履行することを義務付けた一連のADR手続の契約条項である。
すなわち、これらの事前ADR手続は、契約当事者間で敵対的な状況を生じさせることなく紛争が解決されることを目的としており、具体的には協議および交渉の他、裁定、早期の中立的査定手続または調停等の手続が想定されている。
手短に言えば、TDR条項は、契約当事者間の継続的な協力関係を維持させるために、両当事者を強制的に友好的にコミュニケーションさせ問題を解決させるためのツールである。弁護士も、社内弁護士またはその他の形態にせよ、しばしばこの手続に関与することがあるが、目的はあくまで当事者間の壁を取り除き、友好的な交渉を促し、お金のかかる裁判または仲裁手続のための申立書作成にいたる事態を防ぐ点にある。
3. TDR条項のメリット
TDR条項は、潜在的な紛争を法定された手続を利用することなく早期に解決することにより、きわめて単純に紛争の深刻化を防ぎ、継続的な協力関係を維持し、時間と費用を節約することを可能にする。また、TDR条項により紛争が事業に与える悪影響を小さくし、さらに紛争解決の手段としてのADR手続の活用を促進する効果もある。
たとえば、協議や交渉の期間を設定することによって、紛争の激化を最小限に抑えることが可能である。TDR条項には大きなメリットがあるが、デメリットはほぼないと言ってよい。TDR条項を契約書に挿入するだけで、ADR手続による紛争解決という選択肢が追加されコストの大幅な削減を期待することができるのである。
4. TDR条項の落とし穴
TDR条項は潜在的紛争が現実化した場合の手続を規定しているのか、それとも紛争が深刻化することを未然に防ぐためのものなのかという質問をたまに受ける。この問いに対してはTDR条項の内容によって異なると答えるほかない。
実際TDR条項の内容の慎重な検討を怠った結果、正式な法的手続の代替的な合意をした意味がなくなってしまうような落とし穴がいくつか存在する。
もっとも陥りがちな落とし穴としては、問題が顕在化した際の具体的な対応について契約当事者が正確に規定していなかったという場合があげられる。協議または交渉の義務の有無、協議または交渉の期間、調停に付す必要性等に関する多くの付随的紛争は、TDR条項の内容の不明確性が原因となっている場合が多い。
TDR条項に対しては、過去には、これは「合意するための合意」にすぎず、裁判所が内容を審査し執行することができないとしてその効力が争われた。
しかしながら、近年裁判所の潮流は、特に公共の利益を理由に、TDR条項が明確に定められていることを条件として、裁判・仲裁手続の法的手続に先行する手続としてTDR条項の効力を認める方向に変わってきている。
この変化は、2014年のEmirates Trading対Prime Mineral Exports事件において明確となった。高等裁判所はTDR条項に関し公共の利益を認め、「商業的な…人々は…裁判所に対して彼らが自由な意思で引受けた義務を執行することを期待しており…この…合意の目的は費用と時間が消費される仲裁を避けることある。」と述べた。実際にEmirates判決は「誠実に紛争を解決しようとする期間限定の義務は執行可能であるべきである。」と明言した。ただし、この判決には、契約当事者が実際に誠実交渉義務を履行しているか否かを、裁判所が判断するのは難しいとの懸念が表明されている。
5. どのように落とし穴を避けるか:Ohpen Operations対Invesco事件(2019年8月)の教訓
さらに直近の事件であるOhpen Operations 対 Invesco Fund Managers事件は、公共の利益を改めて強調したうえで、明確に定められたTDR条項の効力を認め、有効で執行可能なTDR条項として扱われるための重要な要件について明らかにした。
5-1. 背景
本件は、デジタルオンラインの投資プラットフォームの開発委託契約に関し、開発の遅延により紛争が生じ、そのまま契約期間が満了したという事案である。
Ohpenが訴訟手続を開始する前に、当事者間は、証拠開示上の秘匿特権を留保したうえでの会議に1回出席した。他方、Invescoは、Ohpenによる訴訟提起が契約上のTDR条項に違反しているとして裁判管轄の違背を主張した。
TDR条項は、紛争が生じた場合、担当者、契約管理者、上級委員会の順番に協議し、かりに協議が整わない場合、CEDR規則に基づく調停に付託すると規定されていた。
Invescoは、TDR条項に契約当事者は拘束されるはずであるのに、当事者間の実際の交渉はTDR条項の定めとはかけ離れた状況にあったとし、Ohpenは、訴訟を提起する前に少なくとも調停に付託すべきであったと主張した。
これに対し、Ohpenは、TDR条項はプロジェクトの初期段階および/または契約終了前に発生した紛争にのみ適用されると主張した。もっとも、多くの事案とは異なり、双方当事者が指名した者同士による秘匿特権を留保したうえでの会議(およびこれに関連する意見交換)が、当事者間の問題解決にとって十分であったか否かに関する議論はなかった。また、経営委員会が同様に問題解決を試みたかについての議論もなかった。
Invescoの主張 |
TDR条項の定めに従い、Ohpenは、訴訟を提起する前に少なくとも調停に付託すべき |
Ohpenの主張 |
TDR条項はプロジェクトの初期段階および/または契約終了前に発生した紛争にのみ適用される |
5-2. 判決
裁判所は、契約解釈の問題として、TDR条項がプロジェクトの初期段階に限り適用されるとするOhpenの主張を退けた。また、当事者に特定の紛争解決プロセス(CEDRによって提供されるプロセスなど)に従うことを要求するTDR条項は、原則として裁判の前提条件を形成し、訴訟手続等の停止により執行可能であることを認めた。さらに、Emirates事件と同様、「裁判外紛争解決条項の執行を認め、当事者が訴訟前に紛争を解決しようとすることを奨励する明確かつ強力な方針」を改めて示した。
そして、執行可能なTDR条項として扱われるための4つの重要な要件を提示した。
① TDR条項は当事者にADR手続に従うことを要求する執行可能な義務を規定しなければならない。 ② ①の義務は、訴訟または仲裁の前提条件として明確に規定されなければならない(Ohpen事件において、TDR条項は「紛争が紛争手続(協議およびその後の調停)に従って解決されない場合、当該紛争は一方当事者により英国裁判所の専属的裁判管轄に訴訟提起することができる」と規定されていた)。 ③ 紛争解決手続は法定されたものである必要はないが、両当事者によるさらなる合意を必要とすることなく、客観的基準により調停人を指名する機関や他の必要な手続が十分に明確に規定されていなければならない(ただし、Ophen事件におけるCEDRの調停規則への言及はこの要件を満たしている)。 ④ 裁判所は執行可能なTDR条項に違反して開始された手続きを中止する裁量を有しており、その場合、ADR手続の執行を認める公共の利益に配慮しなければならない。
|
裁判所はOhpenのTDR条項がこれらの基準を満たしていると判断し、調停に付す形で裁判手続の停止を命じた。また、裁判所はTDR条項が契約終了後は効力を有しないとの主張を排斥したことにも注目されたい。執行力のあるTDR条項がこの意味で「仲裁条項と区別できない」ということが明らかになった。
6. 執行可能なTDR条項を作成する際の4つのtips
執行可能なTDR条項にするためには、いかなる法定手続を開始する前に、よく定義されたADRプロセスを引き受ける義務に拘束される当事者の意思が明確かつ確かなものでなければならない。したがって、TDR条項を作成する際には以下の点に留意する必要がある。
① ADR手続の各段階について、明確な期限および手続の具体的内容(たとえば、協議、交渉または調停を含む)を定めること。当事者が別途の合意を要することなく各手続がどの時点で終了し、いつ次の手続に移行するのか、そして各手続の具体的な内容について明確に定める必要がある。これは、各手続の参加者、時期、場所、時間、回数等、あらゆる条件を定めることが求められることを意味する。 ② ADR手続の各段階が法的義務であること、一方当事者がこれに従わない場合、当該当事者が次の手続に移行することができない、または訴訟手続を開始することができないことについて明確に定める必要がある。 ③ 調停に付す場合、別段の追加合意を要することなく、調停規則または調停機関に付託し調停人を指名し、調停を進行できるように定める必要がある。Ohpen事件では、当事者はCEDR規則に合意していた。CEDR規則と同様に執行可能となるのは、シンガポール国際調停センター(「SIMC」)規則(または近年設立された京都国際調停センター(「JIMC」)−京都)である。シンガポール国際調停条約の急速的な普及に鑑みると、こうした調停を利用したTDR条項を採用する企業が増えることが見込まれる。 ④ 裁判所による仮の救済を求める権利を明確に定めておく必要がある。事案によっては、当事者は紛争解決の結果が出るまで、仮差止命令(freezing injunction)またはその他の仮の救済を得ておく必要がある。したがって、TDR条項には、当事者が必要に応じて、ADR手続または正式の法定手続が開始される前でも救済を求められる旨の定めを明確に定める必要がある。
|
もう1つ気をつけておくべき点としては、TDR条項を作成するうえで、当事者に対して誠意をもって協議または交渉を行うことを義務付けるTDR条項を執行することは可能であるものの、これについていくら客観的な基準を定めたとしても、当事者が誠実に行動した(または行動しなかった)ことを証明することには難しいということである。これらの条項に従っているかどうかは、事実認定の問題であり、主観的な問題を対象とするので本来的に立証が困難なのである。
すべての紛争解決条項について言えることであるが、とりわけTDR条項を作成する際に、最大限の効果を発揮させるためには、慎重にドラフトをすることが必要である。また、このような条項は従来重要ではなかったかもしれないが、内容を適切に定めれば、すべての関係者にとって重要な利益に繋がる可能性がある。
※本記事は、2019年12月20日にBUSINESS LAWYERSに掲載したものを本日付けでも変更がないことを確認したものとなります。